二つ池のご先祖
【せんぞ】さまの話しが出ると、みるまに龍の子・龍之助
【りゅうのすけ】の口ヒゲはフニャリ。トグロをまいたでっかい図体がひとまわりちぢかんでしまう。
ご先祖さまは、実に立派
【りっぱ】な龍神
【りゅうじん】さまだったそうな。今もって里に語りつがれている伝説
【でんせつ】は二つや三つじゃあない。
その竜神さまの直系
【ちょっけい】の子孫
【しそん】だというのに、龍之助は沼の底でぐでっとトグロをまいたまま、もう百年近い。百年といっても、龍の寿命
【じゅみょう】からいえば人間の九年か、十年くらいかな。龍之助は、ほんとにまだ子どもだった。口ひげだけはみごとなのが右に一本、左に一本。けれど、口から宙
【ちゅう】に吐
【は】きだす炎
【ほのお】だって、まだ火の粉
【こ】ていどのお粗末
【そまつ】さ。雨降らしの術
【じゅつ】も、なかなかもって免許皆伝
【めんきょかいでん】とはいいがたい。
一度だけ、長い日でりが続いた時に思いきって天に舞
【ま】い上がり、雲をよび、風を起こして雨をじゃんじゃん降らせたことがあった。溜
【た】め池
【いけ】という溜め池に水が満々
【まんまん】とたまり、川面
【かわづら】が岸すれすれにふくれ上がったのを見とどけて、
「雨よ、止め!」と術をかけた。が、どうしたことか雨はいっかな止もうとしない。
「もう止め!おしまい!これっきり!」と声をかぎりに叫んだが、雨は降りつのるばかり…。そこら中、水びたしになって、里人
【さとびと】は大迷惑
【だいめいわく】。
「未熟者【みじゅくもの】めが!お前のご先祖さまはなあ…」飛んできて雨を鎮
【しず】めた父龍にしこたま説教
【せっきょう】されたあげく、ご先祖さまの話である―。
二つ池の龍神さまといえば
「知らんでか。日本一ふるい厄除【やくよ】け観音さまのお龍さまやろが」と、昔から伊勢では、子どもから年寄
【としよ】りまで知らぬ者はいない。
こんもりと緑を盛り上げた倉田山の北の峰
【みね】に、行基
【ぎょうき】というえらい坊さまが開かれた松尾観音
【まつおかんのん】というお寺がある。厄除けに霊験
【れんけん】があらたかの聞こえ高く、初午
【はつうま】の日ともなれば、門前の坂道は近郷近在
【きんごうきんざい】から詣
【もう】でる善男善女
【ぜんなんぜんにょ】が列をなし、縁起
【えんぎ】もののネジリおこしやサルはじきがとぶように売れる。
本堂
【ほんどう】の屋根
【やね】には、般若心経
【はんにゃしんきょう】一万巻の納
【おさ】まった青銅
【せいどう】の凝宝珠
【ぎぼし】をいただき、御堂
【おどう】の中には、御本尊の十一面観音
【じゅういちめんかんのん】さまがうやうやしくまつられている。この観音さまは、三十六態もの姿に変身
【へんしん】して人の危難
【きなん】を救
【すく】ってくださるという、ありがたい観音さまだ。
龍神さまの住んでいるのは、この寺を下ったところにある二つ池だった。西にひとつ、東にもうひとつ、緑のみずみずしい葦
【あし】に囲まれたいかにも住み心地のよさそうな池だ。
ある夜のこと、突然、本堂から火の手があがった。お灯明
【とうみょう】でも倒れたものか、人っ気のないお堂で炎はたちまち床を焼き柱をはいのぼり、勢いづいてメラメラと天井をなめはじめた。山中のこととて、人々の気づくのがおそかった。かけつけた時は、本堂は火の柱、手のほどこしようもなく、
「ご本尊さまが…」とおろおろするばかり。
その時、すさまじい炎の中に何やら黒い影
【かげ】がうかび上がった。それは、ご本尊にぐるぐると蛇身をまきつけ、もえさかる火から身をもって像を守っている二つ池の主、龍神さまの姿だった―。
立派なご先祖をもつ身はつらい。豪雨事件
【ごううじけん】以来のこの百年、鳴かずとばずの龍之助は、その日も緑色の水底
【みなぞこ】から上目
【うわめ】づかいに空を見上げていた。
すると、ガサ、ガサ、ガサッと池の縁
【ふち】を歩く人間の気配がしたかと思うと、ドブーン、ブクブクブク……龍之助の頭の真上
【まうえ】に大きな男の身体が沈んできた。
「コヤツ、足をすべらせたな」。助けてやらねばなるまい、と龍之介はシッポをひと振り、ポイと男を岸へなげ上げた。
しかし、シッポ投げの術も、龍之助はどうやら未熟らしい。男は岸へ投げられた拍子
【ひょうし】に松の大幹
【おおみき】に頭をゴツン。大の字に倒れて気絶
【きぜつ】してしまった。
そこへ、バラバラとかけつけた里人たち、
「ややっ、これはみなで追いかけていた大泥棒【おおどろぼう】や。龍神さまの池に落ちたとみえてズブぬれやが、大きなコブをつくってノビとるぞ」。
泥棒のふところには、里人たちのぬすまれた金品
【きんぴん】がそっくり入っていたので、みんなはホッとひと安心。
「龍神さまのおかげじゃ」
「龍神さまは、今でも生きておいでるぞ」と、さっそく池のほとりに祠
【ほこら】をまつって朝に夕にまんじゅうやら果物
【くだもの】やら、お供
【そな】え物をどっさり……。
で、当の龍之助はどうしてるかって?龍は霞
【かすみ】を喰
【く】って生きてるんだから、お供え物のまんじゅうなんぞに手を出しはしない。
今日も龍之助は深い深い池の底。大きな図体
【ずうたい】をぐるんと巻いて、龍神さまのうわさをする里人たちの話し声を、くすぐったそうな顔で聞いている。(おわり)