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伊勢の風習・風土
切妻造り【きりつまづくり】
 書物を開いて伏せたような三角形の屋根を持つ家。伊勢の民家には切妻、妻入りが多く、のこぎり状の屋根からはリズム感を感じます。
 その理由は、神宮の正殿が平入りなので、神宮と同じでは「畏れおおい」ためとか、道路に面する関係上、間口が狭く奥行きの深く細長い敷地が多かったことが、切妻入りの建物を普及させたのだと言われています。
 屋根は「伊勢瓦」と呼ばれる伊勢特有の瓦で葺かれ、二階部には「張り出し南張り」と呼ばれる外囲いが設けられています。また、一階の軒庇の先端には「軒がんぎ板」という垂木の鼻隠しがすえられ、これがまちなみに連続性を持たせる大きな要因となっています。



注連飾り【しめかざり】
 伊勢の町を歩くと、家々の門口に注連飾りが掲げてあるのが目につきます。中央に「蘇民将来子孫家門」あるいは「笑門」「千客萬来」などと墨書きした門符(木札)が付き、左右にシデやウラジロなどを飾った太い注連縄です。正月の注連縄飾りは普通は松の内が過ぎればはずすのが一般的ですが、伊勢志摩では、一年間かけたままで過ごす風習があります。
 それは、「その昔、この地を訪れたスサノオノミコトに、貧しいながらも慈悲深い蘇民将来が一夜の宿を貸した。ミコトは旅立つ時、今後は門符を門口にかけておけば、子孫代々疫病から免れると言い残した」という伝説があるからです。蘇民の子孫である証拠として門符を掲げ、無病息災を願うようになったそうです。つまり、家内安全の祈りを込めた「厄除け」の門符です。
 ちなみに「笑門」とは、後に「蘇民将来子孫家門」を縮めた「将門」で、さらにこれが平将門に通じるのを嫌って「笑門」になったと言われています。



世古【せこ】
 伊勢の道を歩くと家々の間を縫うように小さな路地がたくさん目につきます。伊勢ではこれを世古と呼び、江戸時代から明治時代にかけて名前が付いているものだけでも130以上あったと記録されています。しかし戦後、大半の世古は拡張されるなどして姿を消していきました。それでも、現在に残るものを見ると世古が暮らしの中に生き続け、子供達の遊び場になっています。
 世古は人々の姿や生活を身近に感じることができ、昔ながらの物が今もいきづいています。短く曲がりくねった道は、少し歩けば曲がり角にぶつかり、その先にどんな景色が飛び出すか楽しみになります。
 世古の由来には、世古は「迫」と同義で、両方から迫りあった細い道を意味したとか、セ・・・「狭い」、コ・・・「処」、すなわち「狭処」(せこ)が世古に転化したものではないかなど様々な説があります。
< 観賞スポット >河崎、本町、おはらい町



朔日詣【ついたちもうで】
 明治以降に定着した風習に「朔日詣」があり、毎月一日には早朝に神宮へ参り、神様に感謝し、清らかな気持ちでその月をはじめるという神領ならでの美風です。
 現在もその風習は続いており、内宮門前のおかげ横丁はこの日は早朝からお店を開けて特製の粥を振る舞ったり、参拝客をもてなしています。


伊勢神宮のお水汲み
 土用の丑の日と旧暦の八月一日には、古くからの習わしがあります。
 五十鈴川の水を汲んで内宮領内の瀧祭神(たきまつりのかみ)へお供えした後、家に持ち帰って神棚にお供えすると、一年中息災で過ごせるといわれています。


伊勢の伝統芸能
心のふるさと伊勢には、古くからその風土と歴史の中で育まれてきた伝統工芸品が受け継がれています。それぞれの素材の持つ素朴な味わいをいかした製品として親しまれています。



▲この看板が目印です
 「伊勢まちかど博物館」は、伊勢の町おこしグループ「ザ伊勢講」が中心となり、「人間誰でもちょっとした場所さえあれば、自分の好きなものや誇れるもの、楽しみをもとに博物館の一つくらいは作れる」を基本テーマに始まりました。
 昔からお伊勢参りの旅人をもてなしてきた伊勢の町には、今もまちかどのあちこちに伝統や文化が息づいており、庶民の暮らしを伝える個人のコレクションや地場産業の工房など、地域も伊勢から二見へと広がって、現在では30館がまちかど博物館として公開されています。
 そこでしか見られない伊勢の生きた文化を生粋の伊勢っこたちが紹介する「まちかど博物館」。急ぎ旅では味わえない、素顔の伊勢に出会えます。


はじまりのまち伊勢

伊勢は 日本精神文化 (生成り文化)はじまりのまち
コンベンション (集会・交流・観光)はじまりのまち
遷宮による再生のはじまりのまち

 伊勢には日本の精神文化の発信地・伊勢神宮があり、古くから「日本人の心のふるさと」と親しまれてきました。
 自然を愛する心、先祖を敬う心を原点とする日本の文化も、ここ伊勢の地を源としているといえます。
 その本質は、飾り気のないありのままを良しとする考え方。つまり、伊勢は「生成り文化」のまちと位置付けられるのです。
 おかげ参りに象徴されるように、伊勢には津々浦々から多くの人が集い、さまざまな出会いと交流が生まれてきました。
 伊勢はコンベンション(集会・交流・観光)の「はじまりのまち」でもあります。
 二十年に一度の遷宮を契機にはじまりのまち「伊勢」は活力を甦らせ、そこに住む人や訪れる人々に、永遠に変わることのない「日本のこころ」を伝えつづけています。

和風建築のはじまり
伊勢神宮の唯一神明造【ゆいいつしんめいづくり】
総檜の清々しい様式美を誇る伊勢神宮の社殿は、「唯一神明造」と呼ばれるもの。弥生時代の穀倉から発展したもので、日本最古の建築様式と言われています。


旅行業のはじまり
伊勢神宮の御師【いせじんぐうのおんし】
もともとは伊勢神宮の神官である御師。後に、参拝の勧誘を行ったり、参拝者を自宅に宿泊させ山海の珍味でもてなすなど、現在のツアーコンダクターの元祖となりました。


紙幣のはじまり
山田羽書【やまだはがき】
貨幣はやりとりが不便なため、17世紀初頭に山田の商人が額面を書いた預かり手形(羽書)を考案。紙幣としては、世界2番目の古さで、これが商人札、藩札の起源となりました。


カレンダーのはじまり
伊勢暦【いせごよみ】
全国に流通したカレンダーの第1号。御師が配った暦は、生活に密着した情報が記されていたため農家を中心とした庶民に大好評で、神宮への信仰と信頼はさらに高まりました。


鉄板の装甲船のはじまり
九鬼水軍の安宅船【くきすいぐんのあたけぶね】
造船業が盛んだった伊勢市大湊の造船所で、日本初の鉄張りの軍船が誕生。戦国武将の九鬼嘉隆はここで七隻の安宅船を造り、織田信長の天下統一に貢献しました。


俳句のはじまり
荒木田守武【あらきだもりたけ】
伊勢神宮の神官として宗教的色合いの強い連歌に親しんでいましたが、後に連歌の作法を打ち破って五・七・五の俳諧を独立させる気運を生み出し、俳句の礎を築きました。


海水浴場のはじまり
二見浦浴潮場【ふたみうらよくちょうじょう】
明治15(1882)年、二見浦は神戸の須磨・三浦半島の葉山とともに日本初の公認海水浴場として開設。しかし、当時は泳ぐというより健康を目的とした潮浴びが主流でした。


銭湯のはじまり
伊勢の与市【いせのよいち】
出稼ぎのため江戸の町づくりに参加した伊勢出身の与市が、銭瓶橋のたもとに湯屋を作ったのがはじまり。蒸し風呂でしたが、人夫たちの汗と疲れをとるのに一役買いました。


国道のはじまり
国道1号【こくどういちごう】
開通当初、東京~伊勢が国道1号でした。後に国道1号は東京と大阪を結ぶ基幹道路にルート変更され、当時国道1号の区間だった四日市~伊勢は国道23号と改称されました。


有料道路のはじまり
参宮有料道路【さんぐうゆうりょうどうろ】
日本の有料道路は、昭和28(1953)年、度会橋(伊勢)~櫛田橋(松阪)間の10.6キロ区間で開通した参宮有料道路がはじまり。通行料金は普通車180円、軽自動車60円でした。


熨斗のはじまり
熨斗あわび【のしあわび】
贈答品の印に使われる「のし」は、伊勢神宮の供え物の熨斗あわびが起源。上流階級の武家間でも慶事の贈答品に用いられましたが、次第に形式化され、現在の印になりました。


資料館のはじまり
神宮農業館【じんぐうのうぎょうかん】
日本初の産業博物館として、明治24(1891)年に外宮前に開館。天照大御神と豊受大御神の神徳を広めるために創設されました。


駅伝のはじまり
武田千代三郎【たけだちよさぶろう】
首都移転50年を記念して京都~東京を23区間に分けてリレーしたのが起源である駅伝。この競技名は、元・日本体育協会副会長で神宮皇學館館長の武田氏がつけたものです。




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